【JJC通信】哀しみの保健室 vol.4 私達を支える8つの繋がり<家族> 

充実人生クラブの皆様、こんにちは。


『哀しみの保健室』の前川美幸です。


今回でこのJJC通信を担当させて頂いて
4回目となります。


私たちは常日頃、どんなものに支えられ
生きているのか?


どのような繋がりを断たれた際に
打ちひしがれるのか?


また死別による喪失悲嘆には
どのような断絶感が伴うのか?


ということについて、
これまで書いてきました。



「人生を支える8つの繋がり」に
「社会」「友人」「家族」「過去」
「自然」「思想」「故人」「未来」
があります。


今回は「家族」についてとりあげます。



「家族」にどれだけ支えられての
今があるのか?


また「家族」を失うことでどれだけの
喪失感を味わうのか?については、
誰もが想像がつくところです。


幼くして親を亡くした場合は、
どんな自分でもうけとめてくれる存在としての
安全基地を失った心地もあるでしょう。


両親のどちらかを失った場合、
残された親は父と母の両方の
役割を担うため、以前とは違う態度で
接することも増えます。


また子供がその兄弟姉妹を失った場合、
悲嘆に喘ぐ両親の前では昔のように
わがままが言えない、という状況に
追い込まれることもあるでしょう。


家族のうちの誰を失っても、家族内での
それぞれの関係性は大きく
変わってしまう例が少なくありません。


幼い子供を失った夫婦の例では
どうでしょうか?


誰よりも愛しい我が子との死に分かれる
喪失悲嘆をそれぞれの立場で痛感しながらも、
お互いの気持ちを共有することが
とても難しい現実があります。


男女の役割や価値観の違いもあり、
「少しも気持ちをわかってもらえない」
と孤独を募らせる場合も多いからです。


母親として
「亡くなった我が子のことを
いつまでも忘れたくない」
「自分だけでもずっと想い続けてあげたい」と、
生きている時と同じように遺影に
語り続ける毎日を過ごす人があります。


一方、他の家族も養う必要がある父親は
「いつまでも悲嘆に沈んでいるわけには
いかない」「泣き明かすばかりでは
亡き子も悲しむはず」と考え、仕事に
必死に打ち込む中で死別悲嘆から
少しでも遠ざかろうとする人もあります。


自分とはちがう反応を示す配偶者に対し、
「あの子のことを少しも考えてくれない、
冷たい」「いつまでも引きずったまま前へ
進まないのは、親としてふがいない」と、
互いに相手を責める気持ちが出てしまい、
意見が衝突した後に疎遠となる
ケースもあります。


本来ならば世界中で誰よりも一番、
大切な我が子を失った痛みを共有したい
相手であったにも関わらず、お互いが
お互いを理解できず「許せない」と
感じるままに関係が決裂してしまう。


そのように、さらなる喪失悲嘆を
背負い生きる人が少なくありません。


不慮の事故や災害、犯罪、あるいは自死で
子を失った場合にも「自分がもっと
注意していれば」と、誰もが深い自責の念に
駆られます。


その一方で「お前があの時もっとちゃんと
見ていればこんなことにならなかった!」
「そういう貴方こそ何もかも
私に任せっきりで、何一つ親らしいことを
してこなかったくせに!!」等、
やり場のない怒りや葛藤の矛先が
配偶者に向くことがあります。


「家族」はたいていの人にとって、
他人とちがって利害関係なく
ありのままの自分を受け入れてくれる
安らげる存在です。


ですが、その大切な家族の一員を
失った瞬間、その安らぎが崩れ、
危機的な状況に陥ることも実に多いのです。


一度綻びができるとどこまでも
留まりなく、言いたい苦情が
溢れ出てしまう可能性は誰にも
あり得ます。


そして耐えがたい喪失悲嘆に喘ぐ中で
突きつけられた辛辣な批判や非難は終生、
その人にとって癒しがたい
心の傷となり残りがちです。


だからこそ、常日頃からお互いが
お互いの気持ちを率直に話し合い、
どんな時にも支えあう盤石な繋がりを
築く努力が大切と言えます。


私自身、些細なことでは小言を漏らしても、
本当に伝えたい大切な気持ちは
つい口を噤(つぐ)んで
しまうことも多いので、心がけて
率直な意思の疎通を心がけて
いきたいと思います。


前川 美幸(まえかわ みゆき)
 
一般社団法人日本グリーフ専門士協会・理事
 

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