皆さん、こんにちは。
『哀しみの保健室』の前川美幸です。
「人生における様々な喪失悲嘆について、
どう関わり支えていくか?」
というテーマに沿って
これまで連載してきました。
私たちは生きていく中で様々な
喪失を体験します。
なかでも大切な人との死別は、
とても辛くその哀しみから
自分らしく生きる術をとりもどすまでには、
多くの時間と力が必要とされます。
死別によって引き起こる喪失の悲嘆は、
私たちが想像する以上に様々な
「断絶」が伴います。
どのようなものとの関わりが絶たれ、
それによりさらに絶望感や孤独感が
強まるのか?について、
「社会」「友人」「家族」「過去」
「自然」「思想」「故人」「未来」
の8つをあげました。
今回はその中の「故人」についてお話しします。
大切な人が亡くなれば、当然、
その人自身との断絶感は深く強い心の
痛みとなります。
また失った存在が「人」以外の、
長年連れ添ってきた動物である
場合であっても強く深い断絶感を
味わい苦悩します。
そしてそれら大切な存在との喪失悲嘆は
その対象が死去される前からすでに
始まっていることも多いです。
長く続いた闘病の末に亡くなられた場合は、
病状が刻々と変化する中で
「もう二度と会えなくなるのかも知れない」
とやがて迎える死別を予感します。
不安や恐れ、焦り、焦燥、孤独、怒り、
絶望等、表現しがたい様々な想いが
胸を去来し心穏やかにはとても
いられないことがほとんどでしょう。
どのような形でもいい、とにかく生きて!
生きてさえいてくれたなら何も要らない。
ただただ存命してくれるよう切望しながらも
常に心のどこかで「もう助からないのでは?」
という不安に苛まれる。
そんな日々を重ねる中時に
「こんなに苦しいならもういっそ早く
終わって欲しい」と願う日があっても
決して不思議ではありません。
大切な人との死別を目前に、本人にも
他人にも言えない様々な葛藤が胸中を
かけめぐり少しも落ち着くことがない。
そしていよいよ本当に大切な人が
この世からは去ってしまったのちには、
「どうしてあの時あんな風に
思ってしまったのだろう」
「あんなことを私が思ったから
死んでしまったのでは?」等、
強い後悔や自責の念に長く苦悩される方も
少なくありません。
故人との断絶感が初めて痛烈に
突き刺さる瞬間は人によって様々です。
火葬場で見送る時、遺骨を抱きしめる瞬間、
納骨する際、または墓前、あるいは遺影に
向かう時。
その瞬間瞬間に突然
【もうすでにこの世にない】現実が
思い知らされ、身が引き裂かれる心地がします。
死別による離別から、かなり時間が
経過してもなお、ふとした折に本人が
側にいるような感じがする人もあります。
そんな際にはつい反射的に名前を呼んだり、
姿を探したりします。
そのような反応が繰り返し日常的に
起こりつつも、その度に
【あの人はもうこの世にはいない】
現実を思い知らされ、はかりしれない
寂寥感に打ちひしがれることでしょう
故人との断絶感は、死別離別において
もっとも辛い局面とも言えます。
そして人生における大切な繋がりが
それぞれに徐々に回復されるにつれ、
どうにも受けいれがたい喪失悲嘆もだんだんと
時と共に緩和していくことも多いです。
季節の移り変わりが何度か巡り、
初めてその人がいないシーズンを迎えてから
これで何回目かの季節を重ねる中で、
いずれ肉体レベルの結びつきとは
ちがう次元での、故人との結びつきを
取り戻していかれる方も少なくありません。
それらの人生ストーリーの詳細を
この場で紹介することは紙面の都合もあり
難しいですが、「一度は完全に途絶えた
心のつながりをやっと取り戻すことが
できました」と笑顔で語られる姿に
これまで幾度も出会ってきました。
グリーフケアの現場で起こり得る
そのような物語をグリーフ専門士として
できるだけ語り継いでいきたいです。
前川 美幸(まえかわ みゆき)
一般社団法人日本グリーフ専門士協会・理事
グリーフケアの基本が学べる入門講座
(webにて無料開催)
『哀しみの保健室』の前川美幸です。
「人生における様々な喪失悲嘆について、
どう関わり支えていくか?」
というテーマに沿って
これまで連載してきました。
私たちは生きていく中で様々な
喪失を体験します。
なかでも大切な人との死別は、
とても辛くその哀しみから
自分らしく生きる術をとりもどすまでには、
多くの時間と力が必要とされます。
死別によって引き起こる喪失の悲嘆は、
私たちが想像する以上に様々な
「断絶」が伴います。
どのようなものとの関わりが絶たれ、
それによりさらに絶望感や孤独感が
強まるのか?について、
「社会」「友人」「家族」「過去」
「自然」「思想」「故人」「未来」
の8つをあげました。
今回はその中の「故人」についてお話しします。
大切な人が亡くなれば、当然、
その人自身との断絶感は深く強い心の
痛みとなります。
また失った存在が「人」以外の、
長年連れ添ってきた動物である
場合であっても強く深い断絶感を
味わい苦悩します。
そしてそれら大切な存在との喪失悲嘆は
その対象が死去される前からすでに
始まっていることも多いです。
長く続いた闘病の末に亡くなられた場合は、
病状が刻々と変化する中で
「もう二度と会えなくなるのかも知れない」
とやがて迎える死別を予感します。
不安や恐れ、焦り、焦燥、孤独、怒り、
絶望等、表現しがたい様々な想いが
胸を去来し心穏やかにはとても
いられないことがほとんどでしょう。
どのような形でもいい、とにかく生きて!
生きてさえいてくれたなら何も要らない。
ただただ存命してくれるよう切望しながらも
常に心のどこかで「もう助からないのでは?」
という不安に苛まれる。
そんな日々を重ねる中時に
「こんなに苦しいならもういっそ早く
終わって欲しい」と願う日があっても
決して不思議ではありません。
大切な人との死別を目前に、本人にも
他人にも言えない様々な葛藤が胸中を
かけめぐり少しも落ち着くことがない。
そしていよいよ本当に大切な人が
この世からは去ってしまったのちには、
「どうしてあの時あんな風に
思ってしまったのだろう」
「あんなことを私が思ったから
死んでしまったのでは?」等、
強い後悔や自責の念に長く苦悩される方も
少なくありません。
故人との断絶感が初めて痛烈に
突き刺さる瞬間は人によって様々です。
火葬場で見送る時、遺骨を抱きしめる瞬間、
納骨する際、または墓前、あるいは遺影に
向かう時。
その瞬間瞬間に突然
【もうすでにこの世にない】現実が
思い知らされ、身が引き裂かれる心地がします。
死別による離別から、かなり時間が
経過してもなお、ふとした折に本人が
側にいるような感じがする人もあります。
そんな際にはつい反射的に名前を呼んだり、
姿を探したりします。
そのような反応が繰り返し日常的に
起こりつつも、その度に
【あの人はもうこの世にはいない】
現実を思い知らされ、はかりしれない
寂寥感に打ちひしがれることでしょう
故人との断絶感は、死別離別において
もっとも辛い局面とも言えます。
そして人生における大切な繋がりが
それぞれに徐々に回復されるにつれ、
どうにも受けいれがたい喪失悲嘆もだんだんと
時と共に緩和していくことも多いです。
季節の移り変わりが何度か巡り、
初めてその人がいないシーズンを迎えてから
これで何回目かの季節を重ねる中で、
いずれ肉体レベルの結びつきとは
ちがう次元での、故人との結びつきを
取り戻していかれる方も少なくありません。
それらの人生ストーリーの詳細を
この場で紹介することは紙面の都合もあり
難しいですが、「一度は完全に途絶えた
心のつながりをやっと取り戻すことが
できました」と笑顔で語られる姿に
これまで幾度も出会ってきました。
グリーフケアの現場で起こり得る
そのような物語をグリーフ専門士として
できるだけ語り継いでいきたいです。
前川 美幸(まえかわ みゆき)
一般社団法人日本グリーフ専門士協会・理事
グリーフケアの基本が学べる入門講座
(webにて無料開催)