充実人生クラブの皆様、こんにちは。
『哀しみの保健室』の前川美幸です。
連載6回目となる今回は、人生を支える
大切な繋がりとして「自然」をとりあげます。
私たち人間も、もともとは自然の一部です。
都会で慌ただしいタイムスケジュールを
こなす日々を過ごしているとつい、
季節や気候の変化にすら気づかずに
忙殺されてしまいがちです。
ですがどうにも疲れがたまってしまったり、
わずらわしい人間関係に嫌気がさして
しまったりした際にはふと、緑の木々に
囲まれた森の奥深くや、潮風や波の音が
心地よい海辺に行ってみたくなる。
そんな気持ちにつき動かされた
経験は誰にもあるのでは
ないでしょうか?
たとえばある日突然、病院で医師から
何らかの病の診断名を告知される。
それもひとつの深刻な喪失体験といえます。
これまで漠然と信じていた自身の
健康状態がにわかに危ぶまれ、様々な
葛藤がかけめぐりとても心穏やかでは
いられない。
いったい自分はこれからどうなるのだろう?
仕事は?家族は?もしかしたら
命にかかわるのではないか?
いろいろな不安で胸が押しつぶされそうになり、
食事も喉を通らず夜になっても
なかなか入眠できない。
そのような実体験をされた方も
きっと少なくないでしょう。
自身の病気以外でも、家族の病気や怪我、
それにともなう入院、介護が必要となると
誰もが生活が一変し、これからの予後を
案じては答えが見出せず思考が堂々巡りする。
そんな時、季節の花々の豊かな色彩や香りに
心癒され、本来の自分を取り戻すことが
できたと感じる方も多いようです。
病院のお見舞いには昔から花や果物が
選ばれるのも、そのような自然がもたらす
目には見えない治癒力を私たちが
本能レベルで体感しているからなのかも
知れません。
医療機器に囲まれ殺風景になりがちな
病室の中で、生命の恵みを感じさせて
くれる自然の一部が存在感を発揮する姿は、
静かな勇気づけ効果をもたらします。
窓から眺める朝日や夕日、天候や季節の
移り変わり、吹き込む風の匂いや感触に
触れることが明日への活力につながる。
私自身も長きにわたる入院の付き添い時に、
そのような自然からの恩恵をこの身に
実感したことがあります。
一方、大切な存在との死別や離別は、
誰にとっても突然に訪れる堪え難い
悲嘆をもたらします。
どんなに頑健な人であっても、
あまりのショックに自宅に
ひきこもりがちとなり、長期に孤独な
環境に自身を追いやってしまうことも
珍しくありません。
陽の光や外の空気、植物、動物など、
自然がもたらす生命の輝きに触れる機会が
激減し昼夜は逆転し、季節感や時間の
感覚も失われる。
自然とかけ離れた生活はそのまま
人間らしさが失われた状態でもあるため、
みるみる心身の活力が奪われ深刻な
状況に発展するリスクもあります。
たとえ本人が引きこもってしまったとしても、
周囲の誰かしらの援助があれば、
自然がもたらすパワーや恩恵に
あずかることは可能です。
ですがそのような関わりが一切ないと、
全く自然の癒しが得られません。
非人間的な環境に長らく晒されることになり、
その人本来の活気はますます損なわれると、
場合によっては医療や介護、福祉の
強制的な介入支援が必要となることも
あるでしょう。
深刻な喪失悲嘆に伴う自然との断絶が
深刻な心身の健康へのダメージを
もたらす反面、深い悲嘆の痛手を
救ってくれたのもまた自然からの
恩恵であることも多いです。
たとえば最愛のご子息を失ったことを
きっかけに、山に登るようになった
友人がいます。
友人にとっての登山は、気分転換や
健康維持を兼ねた趣味というよりは
もっと崇高な意味合いがあったようです。
人間は死んだらどこに行くのか、
どんな世界へ逝ったのか?
死生観は人それぞれに異なり、
おもいおもいに様々な未来像を
故人に対して抱いています。
「天国へと旅立っていったのだと思う」
「今も空から見守ってくれている」
「心の中に常にいる」
「見えない存在としていつも側に
いてくれている」
それぞれにちがった見解があり、
そのどれもが尊重したい
その人にとっての真実といえます。
慌ただしい喧騒から離れ、奥深い
自然の息吹に触れることはどこか
スピリチュアルな魂の癒しとなり、
故人との対話が進むような気がする。
そのように感じられる方が多いようです。
誰もが人生のどのタイミングで、
大切な誰かとの別れをどのように
体験するかわかりません。
深い悲嘆に沈む人に何をどう、
声をかければいいのか。
「具体的な手段を教えてほしい」
と請われることが対人支援の現場で
よくあります。
ですが万人に共通する特効薬的対応など
実際にはひとつとしてありません。
下手にその場しのぎに言葉だけで
励まそうとするよりは、その人自身が
自分でその心の痛手を癒す力があることを信じ、
ただ側にいてその回復を念じる。
自然の花々や木々が発揮する目には
見えない勇気づけを、私達も
見習っていきたいと思うばかりです。
前川 美幸(まえかわ みゆき)
一般社団法人日本グリーフ専門士協会・理事
グリーフケアの基本が学べる入門講座
(webにて無料開催)
『哀しみの保健室』の前川美幸です。
連載6回目となる今回は、人生を支える
大切な繋がりとして「自然」をとりあげます。
私たち人間も、もともとは自然の一部です。
都会で慌ただしいタイムスケジュールを
こなす日々を過ごしているとつい、
季節や気候の変化にすら気づかずに
忙殺されてしまいがちです。
ですがどうにも疲れがたまってしまったり、
わずらわしい人間関係に嫌気がさして
しまったりした際にはふと、緑の木々に
囲まれた森の奥深くや、潮風や波の音が
心地よい海辺に行ってみたくなる。
そんな気持ちにつき動かされた
経験は誰にもあるのでは
ないでしょうか?
たとえばある日突然、病院で医師から
何らかの病の診断名を告知される。
それもひとつの深刻な喪失体験といえます。
これまで漠然と信じていた自身の
健康状態がにわかに危ぶまれ、様々な
葛藤がかけめぐりとても心穏やかでは
いられない。
いったい自分はこれからどうなるのだろう?
仕事は?家族は?もしかしたら
命にかかわるのではないか?
いろいろな不安で胸が押しつぶされそうになり、
食事も喉を通らず夜になっても
なかなか入眠できない。
そのような実体験をされた方も
きっと少なくないでしょう。
自身の病気以外でも、家族の病気や怪我、
それにともなう入院、介護が必要となると
誰もが生活が一変し、これからの予後を
案じては答えが見出せず思考が堂々巡りする。
そんな時、季節の花々の豊かな色彩や香りに
心癒され、本来の自分を取り戻すことが
できたと感じる方も多いようです。
病院のお見舞いには昔から花や果物が
選ばれるのも、そのような自然がもたらす
目には見えない治癒力を私たちが
本能レベルで体感しているからなのかも
知れません。
医療機器に囲まれ殺風景になりがちな
病室の中で、生命の恵みを感じさせて
くれる自然の一部が存在感を発揮する姿は、
静かな勇気づけ効果をもたらします。
窓から眺める朝日や夕日、天候や季節の
移り変わり、吹き込む風の匂いや感触に
触れることが明日への活力につながる。
私自身も長きにわたる入院の付き添い時に、
そのような自然からの恩恵をこの身に
実感したことがあります。
一方、大切な存在との死別や離別は、
誰にとっても突然に訪れる堪え難い
悲嘆をもたらします。
どんなに頑健な人であっても、
あまりのショックに自宅に
ひきこもりがちとなり、長期に孤独な
環境に自身を追いやってしまうことも
珍しくありません。
陽の光や外の空気、植物、動物など、
自然がもたらす生命の輝きに触れる機会が
激減し昼夜は逆転し、季節感や時間の
感覚も失われる。
自然とかけ離れた生活はそのまま
人間らしさが失われた状態でもあるため、
みるみる心身の活力が奪われ深刻な
状況に発展するリスクもあります。
たとえ本人が引きこもってしまったとしても、
周囲の誰かしらの援助があれば、
自然がもたらすパワーや恩恵に
あずかることは可能です。
ですがそのような関わりが一切ないと、
全く自然の癒しが得られません。
非人間的な環境に長らく晒されることになり、
その人本来の活気はますます損なわれると、
場合によっては医療や介護、福祉の
強制的な介入支援が必要となることも
あるでしょう。
深刻な喪失悲嘆に伴う自然との断絶が
深刻な心身の健康へのダメージを
もたらす反面、深い悲嘆の痛手を
救ってくれたのもまた自然からの
恩恵であることも多いです。
たとえば最愛のご子息を失ったことを
きっかけに、山に登るようになった
友人がいます。
友人にとっての登山は、気分転換や
健康維持を兼ねた趣味というよりは
もっと崇高な意味合いがあったようです。
人間は死んだらどこに行くのか、
どんな世界へ逝ったのか?
死生観は人それぞれに異なり、
おもいおもいに様々な未来像を
故人に対して抱いています。
「天国へと旅立っていったのだと思う」
「今も空から見守ってくれている」
「心の中に常にいる」
「見えない存在としていつも側に
いてくれている」
それぞれにちがった見解があり、
そのどれもが尊重したい
その人にとっての真実といえます。
慌ただしい喧騒から離れ、奥深い
自然の息吹に触れることはどこか
スピリチュアルな魂の癒しとなり、
故人との対話が進むような気がする。
そのように感じられる方が多いようです。
誰もが人生のどのタイミングで、
大切な誰かとの別れをどのように
体験するかわかりません。
深い悲嘆に沈む人に何をどう、
声をかければいいのか。
「具体的な手段を教えてほしい」
と請われることが対人支援の現場で
よくあります。
ですが万人に共通する特効薬的対応など
実際にはひとつとしてありません。
下手にその場しのぎに言葉だけで
励まそうとするよりは、その人自身が
自分でその心の痛手を癒す力があることを信じ、
ただ側にいてその回復を念じる。
自然の花々や木々が発揮する目には
見えない勇気づけを、私達も
見習っていきたいと思うばかりです。
前川 美幸(まえかわ みゆき)
一般社団法人日本グリーフ専門士協会・理事
グリーフケアの基本が学べる入門講座
(webにて無料開催)