【JJC通信】バクチと運用 『山根ちづえの金融解説』 No.2 

JJCパートナーの山根ちづえです。


長年一つの業界にどっぷりつかって
過ごしてくると、他の業界の方々とは
異なる習慣を知らず知らずのうちに
持ってしまうことがあります。


私は金融人として30年仕事を
していますが、日常の
コミュニケーションは同じ業界の方々と
ばかりになりがちです。


この中にいる限り説明もなく通じてしまう
業界用語は少なくありません。


例えば、今回のトピックに
上げさせていただいた
「バクチと運用」という題、
おそらく金融人であれば聞いただけで
何を話そうとしているのか即座に
わかるでしょうし、普段から
「バクチじゃあるまいし・・」なんて
言葉を使ってしまうのですが、
初めて聞いた方には何をいっているのか
伝わっていたのか甚だ疑問です。


これに限らず、金融界では当たり前でも
一般の方々にはなじみのない事だということは
少なくないのかもしれません。


しかしながら、国が一般の方々に
将来のための貯蓄を自助努力で
行うよう促しているご時世です。


誰もが金融のリテラシーの
向上を求められています。


また、手練手管で金融詐欺行為を
繰り返す集団の存在も無視できません。


こうした気づきの中から、今回は
「バクチとそうでないもの=運用」
の意味を私なりに説明してみたいと思い
トピックとさせていただきました。


以下、ご笑覧いただければ幸いです。


バクチとは、いわゆる博打です。


私が子供の頃には時代劇でよく
見かけましたあの「半か丁か?」と
サイコロを振るシーンです。


博打場には常に怖―い顔をした胴元が
居て遊びに来た人が不正を行って
独り勝ちしていないか監視しています。


あのイメージ金融の世界にもぴったり
くるものがあります。


FX取引などはこれに近い印象があります。


投機家たちがネット上にわさわさ
集まってきて、胴元のルールにのっとって
かけ事をしていくわけです。


私が、某大手証券会社に入社して間も無くの頃
尊敬する上司に為替について質問した時に
言われた言葉、30年経っても覚えています。


「為替市場は、世界中の人が参加する
博打場だから戦って勝てると思うなよ」です。


そう、為替市場で儲けるということは
かなり博打に近い印象があります。


しかしながら、これに丁か半かと賭けて
濡れ手に粟的な利益を得るときもあります。


これはたいていの場合、ビギナーズラック
であったり、その後、浪費するか
また参戦して失うかで残った試しがありません。


一方で、運用とは、私の監修するWikipediaが
あったならばこんな表現になります。


「余剰資金を現金のまま保有するのではなく、
金融商品や不動産に替えて利息や換金時の
値上がり益を期待しながら長期的に
保有すること。」


少し過去を振り返ってみると、
戦後の国民生活が等しく貧しい時代には、
余剰資金を自ら運用する必要があったのは、
国中探しても一握りの大地主さんか
なにかでしょう。


一般市民は、銀行に余剰資金を預けて
利息をもらうということで、間接的に
運用する事が昭和の時代には
当たり前でした。


銀行はそうやって集めた資金を元手に
不動産や事業貸付をして運用して
分け前を私たち市民に分配していたわけです。


これが、平成の時代には
一変してしまいました。


銀行に預けても運用して利息を
返してくれない時代が来たのです。


そこで一般の市民も余剰資金を
自ら運用する必要が出てきたわけですが、
銀行と同じように運用しようにも
まとまった資金がなくてはなかなか
効率よくできません。


そこでこのニーズに応えて開発されたのが
投資信託に始まる個人投資家向けの
金融商品です。


これならば、一口1万円から投資できるし、
換金する時も簡単にできる。


とても素晴らしい発想だったのですが、
時はバブル時代、生まれ育った環境が悪く、
発明者の意図とは異なる形で
成長していったことは、否めない事実です。


しかしながら、その後も銀行に預けても
利息をくれない時代は続き、投資信託の
市場はどんどん拡大していきました。



私は、社会に出てから投資信託の販売、
組成、運用と制作部のすべてのパートに
関わってきましたが、いまだに仕事が
あるのですから素晴らしい
発明だったのですね。


昔、私の恩師は、毎月の生活費の3倍の
現金は必要ですが、それ以上は余剰資金として
運用すべきと説いておられました。


3倍の根拠はなにかわかりませんが、
収入がなくなっても3カ月あれば
なんらかの手が打てるということ
なのだと思います。


そして、自分の人生を豊かにしてくれると
確信するモノや事業が見つかったら、
惜しみなく余剰資金を取り崩して
使うということです。


運用は始めるときは大きな目と耳を使って
慎重に選ぶ必要がありますが、
始めたならば薄目ぐらいで眺めながら
育てていけばよいというのが私の持論です。


これは子育てや結婚にも近い概念です。
隣の子よりも速く走れたり、お勉強が
できたりすれば嬉しいですが、
小学校ではよくでも中学でどうなるか
わかりません。


一喜一憂せずに自分の子を
信じてあげましょう。


言うは易し行うは難しですよね。


私は、自分の目と耳でしっかり
考え調べて始めた運用ならば、途中経過が
どうであれ簡単にあきらめないことは
大事なのではないかと思っています。


私事、仕事で海外のプライベートバンクと
付き合いがありますが、彼らは投資は
やめないことが、最大の防御と言っています。


お金のサイズによって少々やり方は
変わってくるかと思いますが、基本的には
余剰資金をいくらと決めたら運用し
続けることが大事なのだと思います。


ようやく最初に戻って「バクチと運用」
何が違うのか、もちろんここまで
お付き合いいただいた皆様は
ご理解いただけたと思いますが、
上がるか下がるか賭けるのが博打、
運用は違う概念です。


資産を運用したいと言いながら
「この商品は儲かるか?」と聞かれると
なんとも回答に困るというのが
私の証券営業時代の思い出です。


少々長くなりましたのでこの続きは
次回にいたしましょう。


引き続きよろしくお願いいたします。


山根 ちづえ
じぶん年金コンシェルジュ