【JJC通信】旅のお福分け<茶遊庵だより>皐月 

「茶遊庵」の案内人 山﨑小夜でございます。


やわらかな緑と小鳥のさえずりに
誘われて、2泊3日の四国めぐりの
旅にでました。



東京=岡山=高松と早いもので
昼頃には着きました。


それから、「ことでん」の
1日フリーきっぷを買い琴平まで直行。


名物讃岐うどんで腹ごしらえをし、
金比羅宮の階段をお年だからと
言いわけもいいつつ途中で引き返し、
両側に立ち並ぶお店さんで
お茶の干菓子にと阿波和三盆を買いました。



*阿波和三盆糖:徳島と香川県の一部で栽培。
この地方のサトウキビは「甘蔗(かんしょ)」
と呼ばれ背が低い品種です。



1日目の最終見どころ、栗林公園では
根上り五葉松を見、理平焼をみて
宿へと向かいました。



*理平焼:香川県高松市で焼かれる陶器で、
初代高松藩主松平頼重が京都の
陶工森島作兵衛を招き焼かせたお庭焼き。



2日目は高松港から小豆島へ
レンタカーをかり小豆島巡りの始まりは、
エンジェルロード歩き、



なぜか?多いお醬油さん

*小豆島醬油:醬油作りの始まりは
約400年もの昔、当時、小豆島は良質な
塩の産地であり地中海地方によく似た
温暖な気候風土が醬油作りに適し、
海運業が盛んだったことなどから醬油の
島へと発展してきたとのこと。



次はオリーブ公園、高台にあり
眺めは最高、残念ながら
花は咲いていませんでした。


地方の方が、
「日本でオリーブ栽培に成功したのは
小豆島だけ」と鼻高々でしたが、
小豆島産のオリーブはお値段が
良すぎで「お土産」には不向き?かな。



宿に帰り、ツルツル温泉に入り、
なんとも贅沢な1日でした。


3日目の朝の忙しいこと。


大阪城残石記念公園で資料館を見学。



四国フェリーで土庄港から新岡山港に
到着しました。


岡山城と後楽園を散策。


旭川から引いて作り上げた
曲水は見事でした。


この素晴らしい庭園の曲水に
盃を浮かべて詩歌を読み
披講されたのでしょうか。




平成30年 皐月
茶 遊 庵
案内人 山﨑小夜

 

【JJC通信】松本美和子喜寿リサイタルのこと、音楽の恩師H先生のこと(特別寄稿) 

JJCの皆さま


こんにちは、井生俊介と申します。


JJCの伊藤礼子さんは、大学院で
ともに学び、ともに音楽を人生の
礎としている仲間です。


その出会い、ご縁に無限大の感謝
をします。


この度、JJCの音楽を人生のともとする
仲間の皆さまに表記リサイタルのご案内です。


リサイタルにお越しいただける方は
どうぞ私(井生俊介 hoips@nifty.com)
までご連絡ください。


私の音楽恩師H先生は、
今年で七回忌を迎えます。


H先生の秘蔵っ子的存在で
イタリア歌曲の泰斗 松本美和子教授は、
長くイタリアに暮らし、現在は、
日伊の行き来し、ご自身の音楽活動と
後進の指導にあたっています。

ご参考


この度、松本美和子喜寿リサイタルに、
アマチュアの私及び私の音楽仲間に
共演のお申し出をいただきました。


今年はH先生追悼の意味を込めて
H先生の歌曲を私・私の仲間達と
ご一緒したいとのお申し出です。


私自身多くの舞台経験はあるものの
プロ歌手との共演は極めて稀です。


音楽が音楽を超えて祈りとなると
私は信じます。


▽▽▽▽▽
喜寿を記念して 
松本美和子ソプラノ・リサイタル


日 時: 2018年7月11日(水)19:00開演(18:30開場)
会 場: 紀尾井ホール
出 演: 松本美和子(ソプラノ)
共 演: ヴィンチェンツォ・スカレーラ(ピアノ)、
佐藤美枝子(ソプラノ)、椎野伸一(ピアノ)、
慶応ワグネルOB有志(合唱)、Bell'Armonia会
連絡先: 井生俊介 hoips@nifty.com
△△△△△


一方、音楽の恩師H先生ですが、
H先生は、東京芸大音楽学部学部長、
初代新国立劇場オペラ部門の総監督などを
歴任された文化功労賞受賞者でいらっしゃいました。


私は、1978年夏 大学入学直後、
日本最古の音楽団体である
ワグネルソサエティに入部し、
H先生の薫陶を受け、声楽に
ふれることとなりました。


この関係は、先生ご逝去まで
約35年間続きました。音楽を通じて
世界に目を啓くことを再三説かれ、
結果として、私はアマチュアながら、
日本では、上野文化会館、池袋芸術劇場、
ニューヨークのカーネギーホール、
ボストンのシンフォニーホール、
シドニーのオペラハウス、
ザルツブルグ祝祭劇場、
ウイーンの聖ステファン院、
イギリスのケンブリッジ大学
といった箇所で演奏経験を積むことができました。


人との出会いは、時として強烈な
方向転換を強いることがあり、
H先生の出会いは、私を一般の学生から
音楽を友とする若人に変えたようです。


そして今 無限大にH先生への感謝と
音楽への憧憬を感じます。


H先生追悼の意味を込めたリサイタルで
皆さまとご一緒できますなら望外の喜びです。


井生俊介
 

【JJC通信】取引先との会食<出会いと食> No.3 

出会いと食のプロデュースの開発です。


今回は、 お取引先との会食について
お話ししてみたいと思います。


今月、業務でとあるシステムを
リリースしました。


もちろん自社の力だけでなく、
取引先の甚大なご協力のもとです。


システム導入決定を決めてから
リリースまでわずか半年。


しかも品質は妥協できないため、
1度リリース日を延長しての
2度目の正直で、リリース前の
最後の2週間は嵐のようでした。


リリースを翌週に控えた最後の
ミーティングの夜、私の上司の発案で
この取引先の方々を接待させて
頂くことになりました。


自社から徒歩圏内の、
ちょっと高級な居酒屋を予約。


総勢7名。もちろん個室です。



半年間も毎週のように打合せで
顔を合わせているものの、
宴席は初めてです。


いつも打合せの時間キッチリしか
時間が取れないので、個人的な話は
殆どしたことはありません。


ですが、リリースを無事に
迎えられそうだという気持ちを
共有できていること、
感謝の気持ちをお伝えする場を
改めて設けられた事への安堵感、
また会食場所に選んだ居酒屋さんの
食事とお酒は申し分ないことが
分かっていたので
心配はありませんでした。


結果として会食は大成功でした。


会社の会議室で、時間に追われながらの
打ち合わせでは分からなかったことが
色々と分かりましたし、
先方も同様のようでした。


リリースまでの半年間、
険悪(?)と言えなくもない瞬間も
ありましたが、話せるところは
正直に腹を割って対話が
できていたことが、良い結果を
もたらしたのだと思わされました。


そしてリラックスできる場所と
美味しい食事とお酒が名脇役だったのは
言うまでもありません。


これが固い椅子で、マズいお料理と
適当なお酒のお店だったら深い話は
できずに終わっていたかもしれません。



以前の職場でも、取引先の方との
会食の場を設けた経験
(お招きいただいた経験も)が
ありますが、やはり成功のポイントは
以下3点に集約されるのでは
ないかと考えられます。


・相手をある程度知っていること
(好みなど)
・会食の目的をきっちり示すこと
(感謝やねぎらい、お詫びなど)
・リラックスできる個室があり(or貸切)、
美味しいものが飲食できる場所であること


過去に取引先との会食で失敗した
(相手と分かり合えなかった、
その後に関係が深まらない等)
経験もありますが、思い返すと
「会食の目的が何となく」
「ざわざわした居酒屋の一角」
「料理もお酒もまずい」
「業務と関係がなく知らない人
(人数合せで連れてこられた?)がいる」
など上記の条件が揃っていませんでした。


取引先との会食は
単なる懇親の場ではないので、
基本を押さえていないと
時間の無駄になりかねません。


若手の頃は上司の指示通りに
準備しますが、それ以降は
自分の力量(?)が問われます。


取引先との会食も一期一会。
会食の腕を磨く、というのも難ですが
これも仕事のうち。


継続して学んでいきたいと思います。


出会いと食のプロデューサー 
開発 香織
 

【JJC通信】歌うこと〔充実人生コンサート〕Vol.3 

皆さん、こんにちは。
充実人生コンサートの安納一郎です。


今回は小生がどうして歌を
歌うようになったか、思いつくまま
書かせていただきます。


「オジイサンの思い出話」ですから、
さらりと読み流してください。


小生が生まれたのは昭和22年、
戦後の食料難がようやく
落ち着き始めた頃です。


農村地域なので食べる物に困ることは
ありませんでしたが、まだまだ
貧しい時代でした。


「衣食足りて礼節を知る」
と言いますが、芸術もまた然り、
一部の人を除いて音楽への関心は低く、
近所でピアノがあるのは音楽の先生か
会社の社長の家くらいでした。


小生の家は、戦前、祖父が東京で
教師をしていた頃に買い集めた
大きなチャブ台や外国の辞書などが
あったのですが、なぜか音の
出るものは一つもありませんでした。


その頃は蓄音機なども流行っていた
はずですが、我が家にあるのは
戦前から伝わっている古いラジオだけです。


「大本営発表」とか「終戦の玉音放送」
などを聞いたやつです。


こんなオンボロラジオで
オーケストラを聴いたって、
バイオリンはノコギリの目立て、
ティンパニーはバケツの底を
引っ叩いている、としか
聞こえませんから、家で
クラシック音楽を聴くものは
誰も居りませんでした。


東京で高価な道具や本を
買い集めた祖父が、なぜ楽器や
蓄音機には目もくれなかったか。


それは、祖父が酷い音痴で
歌がまったく歌えず、音楽に関心が
無かったからです。


世間で音痴と呼ばれる人の中でも、
本当の音痴は僅かだといわれますが、
祖父のは自他共に認める正真正銘の
音痴でした。


どんな歌を歌ってもメロディーが
分からない、ほとんど節がないのです。


材木だったら節の無いのが
高級ですが・・・。


小生は、幼い頃に実の父を亡くし、
この祖父を養父として育ちました。


祖父は父親として小生のことを
熱心に教育してくれていたのですが、
ある時、何を血迷ったか
「歌を教えてやる」と言い出したのです。


それも童謡や小学唱歌ではなく
「箱根の山は天下の嶮」とか
「嗚呼玉杯に花うけて」といった
大人の歌です。


その時の小生はおそらく3歳くらいで、
一体どのように教えてもらったのか
記憶にありませんが、中学生くらいに
なって楽譜を見た時に、かなり正確に
覚えていてびっくりしたことがあります。


歌詞は子供なりにまったく意味も
分からず丸暗記したのでしょうが、
問題はメロディーです。


なにしろ祖父の歌から節を覚えるのは
作曲するより難しいのですから、
3歳の子どもにできるはずがありません。


もしかしてオレは天才か?
とんでもない、実は、ここには
陰の功労者がいました。


それは同じく養母として小生を
育ててくれた祖母です。


祖母も東京で教師をしていたので、
ピアノを弾いて子供達に歌わせる
くらいのことはできたようです。


祖父が小生に歌を教えるといった時、
祖母は大いに狼狽したそうです。


祖父の音痴が小生に感染しては一大事。
聞くところによると、小生の
亡くなった実父も相当な音痴だったとか。


これに小生が続くと、安納家は
親、子、孫、三代に渡る音痴の
家系となってしまいます。


それだけは絶対に避けなければ
ならない。


何とか自分の手で正しい歌を
教え直さなければならない。


隠れキリシタンの「経消し」の
ようなものですね。


経消しとは、昔の檀家制度の下で
お葬式には必ずお坊さんを
呼ばなければならない、そのため
葬儀の間、別の場所で密かにお経を
消して改めて死者が天国に行くための
祈りを捧げることだそうです。


そして、ここから祖母の「経消し」
ならぬ「祖父の歌消し」の努力が
始まりました。


祖父から教わったと思っていた
「箱根の山」も「嗚呼玉杯に」も、
実は祖母が教えてくれものだったのです。


当時、田舎では風呂もカマドも
薪で焚いていたので、祖母は
火の番をしながら色々な歌を
歌ってくれました。


多くが戦前の唱歌や童謡でした。


祖母も音楽学校を出たわけでは
ありませんが、教師になった
ばかりの頃、当時の古臭い
文部省唱歌にあきたらず、
「赤いくつ」などの新しい童謡、
当時の学校では「子供の流行歌」
などと嫌っていた歌を、校長らの
反対を押し切って音楽に時間に
歌わせていたというくらいですから、
歌への思いは人一倍強かったようです。


そんな祖母の歌を聴きながら、
あるいは一緒に歌いながら、
小生は育ちました。


それは小学校に入るまで続き、
おかげでその後は歌の好きな
子供として学芸会でソロをやったり
合唱団員に選ばれたりするまでに
なりました。


小生が充実人生コンサートに
関わるようになった経緯は、
JJCのホームページに
書いた通りですが、
いま振り返ってみると、
小生の音楽活動を支えてさせてくれた
数々の人達の大元は、どうやら
この祖母だったようです。


現在、曲がりなりにも皆さんの前で
歌えるのは、祖母のおかげかも
しれません。


幼い頃から専門教育を受けた人もいれば、
小生のようにカマドの傍らで歌を
覚えた子供もいます。


どんな経緯にせよ、この歳になるまで
歌に関わることができたのは
幸せなことです。


子供時代は歌が大好きだった
はずなのに、どこかでやめてしまった人、
声変わりで自信をなくしてしまったり、
仕事が忙しくなったりして
音楽から離れてしまった人、
「充実人生コンサート」は、
そんな方々をいつでも歓迎しています。


※写真(昭和29年撮影)はその頃の実家です。



当時は珍しくなかった茅葺屋根で、
前には畑、後には杉や欅の防風林が
ありました。


充実人生コンサート
統 括 安 納 一 郎
~白髪のテノール~

 

【JJC通信】シニアの活躍する社会へ (大人の元氣塾)vol.3 

元氣塾塾長の前川です。


本年1月に厚労省より
「副業・兼業の促進に関する
ガイドライン」が公開されました。


これを受けて、早い企業は
この4月から就業規則を変更して
副業・兼業を解禁する会社が
出始めると思われます。


2018年は数年先に振り替えると
「副業元年」と呼ばれる年に
なるのではないでしょうか?


副業にも様々なスタイルが
あると思います。


自分の趣味を活かす副業、会社で
担当している業務を社外で
活かす副業、これまでやったこと
のない仕事を副業として挑戦してみる
など様々なスタイルが考えられます。


私の応援するミドル・シニア層に
試していただきたい副業は
これまでやってきたことを棚卸し、
経験やノウハウを副業とすることです。


そのために必要なことが
パーソナル・リブランディング
という考え方です。


自分の強みを再度棚卸し、
これからの環境で活かせるよう
自分をリブランディングする
という考え方です。


昔取った杵柄という言葉が
ありますが、これは餅つきの
腕前でもあるのですが、
この腕前や経験をどのように
発揮しなおすかということを
考えることが必要です。


つまり、現代社会で昔ながらの
餅つきを再現して喜んでもらったり、
さすが杵つきは美味しいと
喜んでいただくのも1つですが、
餅つきの経験から美味しい餅の
つき方について、杵をおろす間隔、
スピード、強さ、餅を裏返す
タイミング、気温、コメの蒸し具合など
美味しい餅をつく為の要素をデータ化し、
餅つき機のプログラムに
反映出来れば、「餅つきの腕前」が
「餅つきプログラム」として
長く使われることになります。


自分の強みを棚卸するだけでなく、
これからの環境で再活用できるよう
リブランディングしていくことが
経験やノウハウを売ることになり、
その結果、自己の賞味期限を
長くすることにつながると思います。


副業元年にミドル&シニアが元氣に
活躍する未来を想い、
パーソナルリブランディングの大切さを
ご紹介させていただきました。


大人の元氣塾
塾長 前川明海