「愛酵会」部長という身に余る大役を
仰せつかり、自分が20年前の知識のままでは
錚々たる愛好家の皆様に失礼だろうと、
改めてワインに関する本を読んで時代に
少しでも追いつくことにしました。
これがなかなか面白く…。今回は、
福田育弘氏の『新・ワイン学入門』を
ご紹介します。
福田育弘、『新・ワイン学入門』、
2015年、集英社インターナショナル
著者は1955年生まれ。
大学でフランス文学を専攻、
パリ第3大学博士課程に留学、
2007年から早稲田大学 教育・総合科学学術院
教育学部複合文化学科教授を務めています。
専門は複合文化学で、パリ留学中に
豊かな飲食文化に触れたことから
食文化も研究対象とし、
『飲食というレッスン ――
フランスと日本の食卓から――』(三修社、2007)、
『ワインと書物でフランスめぐり』
(国書刊行会、1997)などの著作があります。
本書は、エッセイストの玉村豊男さんが
自ら始めたワイナリー「ヴィラデスト」
ゆかりの長野県東御市での著者の講座を
基にしたものだそうで、全6章からなります。
第1章「フランスワインなんかこわくない」と
第2章「したたかなフランスワイン」は、
福田氏が感銘を受けたというフランスの
歴史地理学者ロジェ・ディオン(1896~1981)の
大部の研究書『Histoire de la vigne et du vin
en France : des origines au XIXe siècle』
(フランスのブドウとワインの歴史―起源から
19世紀まで、邦訳題名は
『フランスワイン文化史全書 ぶどう畑とワインの歴史』)
に基づき、フランスワインについての通念を
覆すような見解を提示します。
近年まで、多くの人がフランスは
ワイン栽培の適地で、それゆえに
ボルドーやブルゴーニュなどの世界的な
銘醸ワインが生まれてきたと漠然と
考えていました(いわゆる「新世界」ワインが
これだけ普及すると、さすがにフランスが
ブドウ栽培に最適の土地だと言う人は
もはやいないでしょうが)。
また、有名産地の「テロワール」(風土?)が
云々され、地域内での地形・土壌・微気候の差が
そこで穫れるブドウ、それから造られる
ワインにどんな微妙な差をもたらすかも、
ワイン蘊蓄本でもっともらしく語られています。
福田氏はあえてそのような通念に異議を唱え、
ディオンの研究を引く形で、フランスの
テロワールは決してワインについて最適ではない、
むしろ多くの産地は不利な自然条件に人間が
挑むことで作られてきた、また有名産地と
そうでない産地の差は、自然条件としての
テロワールや微気候もさることながら、
社会・経済・政治的な要因が無視できない、
と言います。
不利な自然条件に人間が挑む具体例として、
フランス最北部で気温が低く夏の日照時間も
不足するノルマンディー地方ですばらしい
ワインを造っている例が、著者の実際の
見聞として紹介されています。
ディオンは、ワインに最適な地中海沿岸から
遠く離れたボルドーやブルゴーニュで
高品質なワインが生まれた要因として、
「品種の開発」「土地の改良」「緻密な観察」
「絶え間ない労働」を挙げているそうで、
福田氏はこれを「北の逆説」と呼んでいます。
社会・経済・政治的な要因とは、どこの
どんな人々がワインを消費したのか、
産地を支配したのはどんな人々か、
消費地までどう運んだのか、ブドウ栽培や
ワイン醸造・交易・課税にどのような
制度的な規制があったのかなかったのか、
といった要因です。
福田氏は、有名なワイン産地が大河に
面していること(ドイツのライン川や
モーゼル川、シャンパーニュのマルヌ川、
ボルドーのジロンド川、ガロンヌ川)は、
決してブドウの生育に物理的好影響を
与えているからではなく、単に船での輸送に
便利だったからだと、「身も蓋もない」
真実を明かします。
ブルゴーニュとその隣接地域の違いも、領主
(ブルゴーニュは長く独立の公国だった)
の違い、政策的な優遇策(あるいは競争相手への
妨害策)によるところが大きいそうです。
ただし、福田氏はテロワールや
ミクロ・クリマを認めないわけではなく、
自然条件だけでワインを説明することの
おかしさを指摘しているのです。
ここまでフランスワインの歴史について
著者が論じてきたのは、実は日本における
ワイン造りにエールを送るためでした。
「決して最適の土地ではなかったフランスで、
人の努力であのようにすはらしいワインが
作られてきたのだから、『日本の風土では
本格ワインは無理』と諦めずに、挑戦してほしい」
ということです。
第3章は「日本産のワインが美味しくなったわけ」
という題名。大変好奇心をそそりますね!
ここで著者は、明治以降の日本でのワイン作りの
歩みを大きく振り返ります。
それによると、明治政府はブドウ栽培と
ワイン作りを奨励し、民間人の意欲的な
挑戦もあったものの、醸造技術の未熟さもあって
ワインの消費は根付くことができませんでした。
葡萄酒が人々に受け入れられたのは、甘味を添加した
薬用酒としてでした。あの有名な(悪名高い)
「赤玉ポートワイン」もその一つです。
では近年急速に国産ブドウを使った
「日本ワイン」の品質が向上してきた理由は?
よく言われるように、そして私たちも飲んで
実感しているように、原料のブドウの栽培の
レベルを上げたから?
福田氏の答えはずっこけるほど簡単なもの…
「日本人が良質のワインを飲むようになったから」
だそうです。
つまり、優れた本物のワインの味を醸造家も
消費者もよく知るようになり、それが
「日本でもいいワインを作りたい」という意欲に
つながったというのです。
つまり栽培や醸造の技術向上の前提として、
飲み手の舌が肥えたことがあったのです。
第4~6章は飲食文化という視点から
ワインと食事に目を向けます。
福田氏は、ワインが食中酒として多くの日本人に
受け入れられてきたことで、日本食のあり方や
日本酒のあり方も変わってきたし、今後も
変わってゆくだろうと述べます。
「ひたすらアルコールを摂取して
酔っぱらうためではなく、仲間で会話と共に
食事を楽しむため、食べ物に合う酒を味わう」
というワイン的な食文化が、吟醸酒人気など
近年の日本酒文化の背景にあるのではないか
というのです。
また、明治以降の西洋料理の受容が主に
家庭の女性によって担われてきたこと、
食事とワインを楽しむという食習慣も日本では
主役は女性であること、ワインエキスパートの
半数以上が女性であることなどを紹介、
男性も「一歩先に賢明な女性たちが歩きだした、
食事の際に楽しく飲むという道を、歩いていく
べきではないでしょうか」と呼びかけます。
大賛成! 愛酵会の女性の皆さん、
ぜひ先達としてよろしくお願いします!
というわけで、「ワインを飲む」という
自分の毎日の営みの意味合いを、
消費する側として考え直すきっかけとなる、
含蓄の深い本でした。
愛酵会 さき
仰せつかり、自分が20年前の知識のままでは
錚々たる愛好家の皆様に失礼だろうと、
改めてワインに関する本を読んで時代に
少しでも追いつくことにしました。
これがなかなか面白く…。今回は、
福田育弘氏の『新・ワイン学入門』を
ご紹介します。
福田育弘、『新・ワイン学入門』、
2015年、集英社インターナショナル
著者は1955年生まれ。
大学でフランス文学を専攻、
パリ第3大学博士課程に留学、
2007年から早稲田大学 教育・総合科学学術院
教育学部複合文化学科教授を務めています。
専門は複合文化学で、パリ留学中に
豊かな飲食文化に触れたことから
食文化も研究対象とし、
『飲食というレッスン ――
フランスと日本の食卓から――』(三修社、2007)、
『ワインと書物でフランスめぐり』
(国書刊行会、1997)などの著作があります。
本書は、エッセイストの玉村豊男さんが
自ら始めたワイナリー「ヴィラデスト」
ゆかりの長野県東御市での著者の講座を
基にしたものだそうで、全6章からなります。
第1章「フランスワインなんかこわくない」と
第2章「したたかなフランスワイン」は、
福田氏が感銘を受けたというフランスの
歴史地理学者ロジェ・ディオン(1896~1981)の
大部の研究書『Histoire de la vigne et du vin
en France : des origines au XIXe siècle』
(フランスのブドウとワインの歴史―起源から
19世紀まで、邦訳題名は
『フランスワイン文化史全書 ぶどう畑とワインの歴史』)
に基づき、フランスワインについての通念を
覆すような見解を提示します。
近年まで、多くの人がフランスは
ワイン栽培の適地で、それゆえに
ボルドーやブルゴーニュなどの世界的な
銘醸ワインが生まれてきたと漠然と
考えていました(いわゆる「新世界」ワインが
これだけ普及すると、さすがにフランスが
ブドウ栽培に最適の土地だと言う人は
もはやいないでしょうが)。
また、有名産地の「テロワール」(風土?)が
云々され、地域内での地形・土壌・微気候の差が
そこで穫れるブドウ、それから造られる
ワインにどんな微妙な差をもたらすかも、
ワイン蘊蓄本でもっともらしく語られています。
福田氏はあえてそのような通念に異議を唱え、
ディオンの研究を引く形で、フランスの
テロワールは決してワインについて最適ではない、
むしろ多くの産地は不利な自然条件に人間が
挑むことで作られてきた、また有名産地と
そうでない産地の差は、自然条件としての
テロワールや微気候もさることながら、
社会・経済・政治的な要因が無視できない、
と言います。
不利な自然条件に人間が挑む具体例として、
フランス最北部で気温が低く夏の日照時間も
不足するノルマンディー地方ですばらしい
ワインを造っている例が、著者の実際の
見聞として紹介されています。
ディオンは、ワインに最適な地中海沿岸から
遠く離れたボルドーやブルゴーニュで
高品質なワインが生まれた要因として、
「品種の開発」「土地の改良」「緻密な観察」
「絶え間ない労働」を挙げているそうで、
福田氏はこれを「北の逆説」と呼んでいます。
社会・経済・政治的な要因とは、どこの
どんな人々がワインを消費したのか、
産地を支配したのはどんな人々か、
消費地までどう運んだのか、ブドウ栽培や
ワイン醸造・交易・課税にどのような
制度的な規制があったのかなかったのか、
といった要因です。
福田氏は、有名なワイン産地が大河に
面していること(ドイツのライン川や
モーゼル川、シャンパーニュのマルヌ川、
ボルドーのジロンド川、ガロンヌ川)は、
決してブドウの生育に物理的好影響を
与えているからではなく、単に船での輸送に
便利だったからだと、「身も蓋もない」
真実を明かします。
ブルゴーニュとその隣接地域の違いも、領主
(ブルゴーニュは長く独立の公国だった)
の違い、政策的な優遇策(あるいは競争相手への
妨害策)によるところが大きいそうです。
ただし、福田氏はテロワールや
ミクロ・クリマを認めないわけではなく、
自然条件だけでワインを説明することの
おかしさを指摘しているのです。
ここまでフランスワインの歴史について
著者が論じてきたのは、実は日本における
ワイン造りにエールを送るためでした。
「決して最適の土地ではなかったフランスで、
人の努力であのようにすはらしいワインが
作られてきたのだから、『日本の風土では
本格ワインは無理』と諦めずに、挑戦してほしい」
ということです。
第3章は「日本産のワインが美味しくなったわけ」
という題名。大変好奇心をそそりますね!
ここで著者は、明治以降の日本でのワイン作りの
歩みを大きく振り返ります。
それによると、明治政府はブドウ栽培と
ワイン作りを奨励し、民間人の意欲的な
挑戦もあったものの、醸造技術の未熟さもあって
ワインの消費は根付くことができませんでした。
葡萄酒が人々に受け入れられたのは、甘味を添加した
薬用酒としてでした。あの有名な(悪名高い)
「赤玉ポートワイン」もその一つです。
では近年急速に国産ブドウを使った
「日本ワイン」の品質が向上してきた理由は?
よく言われるように、そして私たちも飲んで
実感しているように、原料のブドウの栽培の
レベルを上げたから?
福田氏の答えはずっこけるほど簡単なもの…
「日本人が良質のワインを飲むようになったから」
だそうです。
つまり、優れた本物のワインの味を醸造家も
消費者もよく知るようになり、それが
「日本でもいいワインを作りたい」という意欲に
つながったというのです。
つまり栽培や醸造の技術向上の前提として、
飲み手の舌が肥えたことがあったのです。
第4~6章は飲食文化という視点から
ワインと食事に目を向けます。
福田氏は、ワインが食中酒として多くの日本人に
受け入れられてきたことで、日本食のあり方や
日本酒のあり方も変わってきたし、今後も
変わってゆくだろうと述べます。
「ひたすらアルコールを摂取して
酔っぱらうためではなく、仲間で会話と共に
食事を楽しむため、食べ物に合う酒を味わう」
というワイン的な食文化が、吟醸酒人気など
近年の日本酒文化の背景にあるのではないか
というのです。
また、明治以降の西洋料理の受容が主に
家庭の女性によって担われてきたこと、
食事とワインを楽しむという食習慣も日本では
主役は女性であること、ワインエキスパートの
半数以上が女性であることなどを紹介、
男性も「一歩先に賢明な女性たちが歩きだした、
食事の際に楽しく飲むという道を、歩いていく
べきではないでしょうか」と呼びかけます。
大賛成! 愛酵会の女性の皆さん、
ぜひ先達としてよろしくお願いします!
というわけで、「ワインを飲む」という
自分の毎日の営みの意味合いを、
消費する側として考え直すきっかけとなる、
含蓄の深い本でした。
愛酵会 さき