【JJC通信】芽生える春<茶遊庵>弥生 

さくら咲く ふるきを語る 和美の友



「小夜さん、今日はいらっしゃいますか」


三十年来の私と義母の友、私にとっては
華道の師匠でもある御年90歳の
元気な華道、茶道の先生が約2年ぶりに
訪ねてきました。


「娘がね、茶の湯を20代から30代の
方達5~6人に教えるっていうの。
お免状は持っているけど25年の
ブランクがあるから教える前に
一から私が指導し直ししようと思ってね。」


「そうですか。茶の湯はからだが
覚えてますから自然に手足が
動いてくれます。
直ぐに取り戻せますね。」


と、話は延々と続きます。


まずは、一服。


干菓子は、京都の白川路煎餅・・田丸弥製



抹茶は、宇治の
三日月の白(みかつきのしろ)
表千家十五代家元好・・上林春松本店
で、お・も・て・な・しです。



「白川路煎餅」の由来
 山城嵯峨の住人和三郎
 (和泉明神藤原政重)が
 空海(弘法大師)から伝授された
 延暦23年(804年)当時そのままの
 手法を生かした京の胡麻和えを
 焼き上げたもの。


「三日月の白」の由来
 大名物唐物茶壺の銘
 「三日月」に由来する。
 この茶壺は織田信長にわたり、
 信長は茶宴を設け将士を
 もてなした時に、床には
 「岸の絵」の双幅を掛けており、
 右は「松島」左は「三日月」の
 茶壺を飾り招いた。


次は、断捨離の話へとすすみます。



「茶の湯は、やっぱり着物でしょ。
私は整理整頓がすきで、着物も
断捨離してしまってないんです」


「あら、困りましたねどうするんですか」


「どうしましょ」


「義母の着物と私の着物を少し
お使いくださいませ。
それから帯も使って下さい」


「断捨離もいいけれどまさか90歳にして、
一から茶道を教えられるとはね。嬉しい和」


益々、元気になりはりきって帰られました。


90歳の後姿に光がさしているように
見えるのは何故でしょうか。


平成31年 弥生
茶 遊 庵
案内人 山﨑小夜
 

【JJC通信】喪<出会いと食> No.7 

出会いと食のプロデュースの開発です。
今回は、 喪、通夜・告別式の時について
お話ししてみたいと思います。


昨年秋、伯母が他界しました。


まだ70代でしたし、
持病があるわけでもなく
脳疾患によるわずか3週間の
闘病後の死でした。


誰しもが、(恐らく伯母本人も)
こんなに早く他界するとは思っておらず、
ショックな出来事でした。


葬儀となると、その規模や開催方法は
故人や家、時には会社によって
まちまちです。


伯母の場合は、既に第一線から
退いていましたので、
身内と少数の知人・友人のみで
執り行われました。


突然の死ではありましたが、
伯母の生前の明るい人柄の御蔭か、
死を悼みつつもお清めは親戚が集まり、
久しぶりに会うメンバーもいて
和やかな場となりました。


お清めの場である会食は、
葬祭事業大手の公益社さんによると、
以下の目的があるそうです。


一つ目は、遺族や親族、僧侶などが
故人と共に最後の会席の場を
ともにして供養すること。


二つ目は弔問に来てくれた人々に
お礼をすること 。


根本には、故人を偲び、
故人の思い出を語り、故人と最後の
食事をするという考えがあります。



今回は殆どが身内でしたので、
皆が伯母を良く知っており、
じっくり伯母の思い出に浸ることが
できました。


伯母も喜んでくれたと思います。


以前に、儀礼的に参列し
故人のことを知らない面々が
酔って騒がしいお清めの場や、
不幸な亡くなり方をされ、
それに納得のいかないご遺族が
途中で取り乱してしまった
お清めの場などに同席したことがあります。


故人が悲しむからやめてほしい、
と言える立場であればお願いをし、
とても口を出せる状況でなければ
その場を去るか、時が過ぎるのを
待つしかありません。


過去に何十回とお清めの場に
同席したことがありますが、やはり
故人を知らない人が多い場合は場が乱れる
(単なる飲食会場になってしまう?)
ことが多かったような気がします。


大概は「故人は賑やかな席が好きだった」と
大目に見られますが、本当のところは
喪主や、故人が生きていたら
どうなんだろうと思います。


場づくりは、参列者全員の故人を
思う気持ちで作られます。


これからも
(参列しなくてはならない場合は)、
故人や喪主のへの思いを優先に、
その場に臨みたいと考えています。


出会いと食のプロデューサー 
開発 香織
 

【JJC通信】10代から50代まで同窓会<出会いと食> No.6 

出会いと食のプロデュースの開発です。


今回は、 高校の部活の同窓会に
ついてお話ししてみたいと思います。


高校生の頃、空手道部に所属していました。


と言うと驚かれることが多いのですが、
当時の私たちの練習を見たら
今どきの親御さんはもっと
驚かれることと思います。


私の通っていた高校は(一応)進学校。
そして私を含めほとんどの
空手道部部員は初心者。


でも顧問の先生の目標は全国大会・・・。


従って「文武両道」と言われながらも、
ほぼ毎日部活漬です。


結果的には先生やOBの先輩方の指導により、
全国大会に行けましたが。


新聞で「土曜日の部活の自粛」
についての記事を見た時には、
時代は変わったものだと
つくづく思いました。


当時上下関係は厳しく、罵声は飛び、
できないと竹刀で直される。


体罰という言葉は
(少なくともそこには)
ありませんでしたし、
あまり当時の子供達はそれに疑問を
抱いていませんでした。


高校を卒業して、空手部から
離れられた時の嬉しさ。


そしてその後大人になり、改めて
先生・先輩方が相当な覚悟と愛情をもって
自分たちを育ててくれたことが
分かるようになりました。


思い出深い空手道部の同窓会は、
毎年年末に行われます。


集まる年代は幅広く、初代の50代から
現役の10代まで。


もう、親子以上の年齢差です。


40代の私にしても、すっかり保護者の年。


それでも、ここに来ると
皆高校生に戻ります。


実はこのような場を設けて
下さっているのは、今も高校で指導を
続けている初代の先輩です。



先輩は
「いつでも戻って来い。門は開いている」
と言われます。


練習に耐えうる技術と体力が
あるかは別として(!)、
本当に門は開いているのだろうと思います。


門を30年以上にわたり、開け続けて
下さる先輩に毎年頭が下がる思いです。


食に関して言えば、何だかんだと
煩いことを言う私ですが、
ことこの部活の忘年会に関しては食事も、
お酒も高校近くの手軽なお店で十分です。


一つには身も心も高校生に
戻っているからなんですが
(酒は飲みますが)、
一つには年1度この場に行くことだけで
十分で、特別なものでなくても
美味しく感じるのです。


場を作る上で大切なのは、
1番は心なのかもしれません。


出会いと食のプロデューサー 
開発 香織

 

【JJC通信】大人になってからの友人<出会いと食> No.5 

出会いと食のプロデュースの開発です。


今回は、 大人になってからの友人に
ついてお話ししてみたいと思います。


もう5年以上前のことになりますが、
ひょんなことから大学院に
入学し、かなり苦労をして卒業しました。


この苦労は2階建てで、1階が仕事をしながら
どうやって勉強する時間を稼ぐかという
時間確保の苦労、2階が同級生に比べて
そもそも圧倒的に学力(特に英語)の
力が弱かったため、そこを補う苦労で
構成されていました。


それでもどうにか周りの方々のご協力と
勢いで卒業し、今があるのですが
卒業して数年たった今も、同窓生の
方々から受けるインスピレーションには
凄いものがあり、例え年1回でも顔を
合わせる機会を大切にしています。


先日も、久しぶりに集まることの
できた会がありました。


集まって話すのは主に仕事の話ですが、
家族のことを話すこともありますし、
趣味のことを話すこともあります。


話のネタはどんな集まりでも一緒かと
思いますが、この大学院卒業生の集まりには
メンバーが違えども特徴があります。


「ネガティブな話にならない」のです。


毎回感心するのですが、女性だけの
集まりでも、男性女性混合の集まりでも、
決して愚痴大会にはならないのです。


もちろん、困ったことは誰にでも
発生するので
「こんなことがあって、ちょっと困っていて」
という人がいても、次には誰かが
「それってどうにかできないかな?」
「この方法で解決した人がいるよ!」
「そもそもそれはやらなければ
ならないことなの?」
等と言い出し、何らかの糸口を見つけて
会話が終わります。


大学までの友人、会社の友人の集まりでは
こうはなりませんので、
私の行った大学院特有のものなのか、
たまたまなのか分かりませんが
私にとってはこれが非常に快適です。


ちなみに、こういった集まりで
幹事をやることになった場合、
店選びには万全を期します。


と言いますのも、上記のように
寄ってたかって(!)問題解決をしようと
皆がするので、非常に賑やかに
なってしまうのです。


また、食事やお酒にうるさい人の比率も、
世間一般よりも高めなので
「食べ物は美味しく」「酒の種類は豊富」
「個室または他のテーブルとの間に
距離がある」ことを重視します。


もちろん、お店の方には
「久しぶりの同窓生の集まりで、
賑やかになってしまう可能性が高い/
仕事の会食などの方とは席を離してほしい」と
念を押しておきます。





ここまで準備しておけば、
あとは楽しむだけ・・・。


と言いたいところですが、
スマートにお会計ができないと
後味が悪いので、皆が酔っ払いに
なりそうな時、ないしは早めに帰る方が
いた時は、早めに〆て精算を
してしまえばあとはスッキリ。


忙しい人ばかりなので、
なかなか簡単には集まれませんが
話が出た時にはなるべく良い場を
設けようと心掛けています。


出会いと食のプロデューサー 
開発 香織

 

【JJC号外】介護する人の心が少しでも軽くなるために(1月7日-11日NHK放送) 

皆さま、明けましておめでとうございます。


私は礼子さんの友人で、
介護者のメンタルケア協会代表の
橋中今日子(きょんちゃん)と申します。


家族を介護されている方、
医療・介護専門職の方にむけての
メンタルケア、介護うつ予防、
燃え尽き防止のための情報を発信しております。


JJC通信の読者としても記事を
読ませていただいております。


今回、この場をお借りして
お知らせしたいことがございます。


NHKラジオ・マイあさラジオ 
健康ライフのコーナーで
「介護する人の心が少しでも
軽くなるために」をテーマで
お話させていただきます。


この特集は、
昨年11月に放送された際に
多くの反響があり、
今回はアンコール放送となります。


日本は今、4人にひとりが
65歳以上の超高齢化社会に突入しました。


そして、65歳以上の7人にひとりが
認知症になる時代。


誰もが「介護する」「介護を受ける」
時代になっています。


私事で恐縮ですが、
23年前に52歳で父がガンで死去したのち、
大正生まれの祖母、重度身体障害の母、
知的障害の弟、家族3人をひとりで
21年間介護してまいりました。


理学療法士(リハビリの専門家)
として病院で働きながら、家族3人を
介護する生活の中で、燃え尽き、
介護うつも経験いたしました。


その経験から、心理学、カウンセリング、
コーチングを学び、2015年に
介護者メンタルケア協会を設立し、
今は介護する人の心が軽くなるための
情報を発信しています。


現在、弊協会に寄せられたご相談は、
のべ800件以上にのぼります。


ご相談を受ける中で、
見えてきたことがございます。


それは、
「誰もが介護する」「介護される」
時代ですが、介護の悩みは家族との関係と
深くつながっているため、
多くの人が「相談できない」状態にあり、
ひとりで苦しんでいる方が多い現状です。


相談できない、助けてと言えない状況を
解決するためには新しい情報が必要だと
実感しています。


1月7日(月)からの特集では、
寄せられたご相談の中でも
最も多い5つのテーマについて
お話させていただきます。


・1月7日(月)
「気持ちを切り替える大切さ」

・1月8日(火)
「イライラが収まらない」

・1月9日(水)
「仕事を辞めるべきか悩んだら」

・1月10日(木)
「排せつにまつわるトラブル」

・1月11日(金)
「憎しみを抱えながらの介護」


放送予定時間は、早朝5時35分です。


タイムリーでお聞きいただくのが
厳しい時間帯だと存じます。


これらの対策として、NHKのHPであとで
録音した番組が視聴できる
「ストリーミングサービス」がございます。


ストリーミングサービスは、
放送日の18時以降に番組内容が
アップされる予定です。


お知り合いで
介護の事でお悩みの方がおられましたら、
この特集についてお知らせいただけますと
うれしいです。


マイあさラジオ HP


マイあさラジオ 健康ライフ 
ストリーミングサービスページ




介護者のメンタルケア協会
代表 橋中今日子